可読性日記20190906

追記:



ここ数日進化心理学ツイッター上で話題になっているように感じる。この記事が話題になったからなのかな。
進化心理学はなぜ批判されるのか? - 道徳的動物日記
もっと長い目で見た関心の高まりもあると思う。僕は進化心理学アンビバレントな感情を抱いている。これはたぶん進化心理学の「進化」の部分への賛意と「心理学」に対する不信や嫌悪によって生じる居心地の悪さが一因かと思う。僕はドーキンスデネットが展開する世俗的な進化論的な哲学が大好きだし、彼らが物事を考えるように俺も物事(といっても僕は引きこもりだから、インターネットの話題がほとんどである)を進化論的にとらえようと努力している。「進化論的に」という言葉はおそらく語弊がある、あるいは「進化心理学」の「進化」とは違う何かを指している、と、主張したい。そう、ここの差異―僕が日夜考えている「進化」と進化心理学の「進化」決定的差異―これがはっきりと表現できずにいる、が、これはたぶん本当は「進化」の違いではなくてもしかしたら「心理学」の違いなのかもしれない。文章を書いていたらそんな気がしてきた。言い換えればこれは「Why」に対する応答の仕方・態度の違い、とも言えるかもしれない。まあまあ、まずは進化心理学を腑分けする。そもそも―これは僕の偏見だが―学問は大体以下の5種類に分別できる。①哲学②歴史③教育④工学⑤芸術⑥思想 ③,④,⑤,⑥は置いとく。非自明な区分けなので説明する。①は真理追及の学問分野が入る。例えば物理学や数学とか、倫理とか(ここには突っ込みが入りそうだが)普遍的で、おそらく宇宙人も同じように発展させているるであろう、いや、こう言ってみよう。可能な世界では異世界であってもきっと通用するような学問である。②は事実の記述の学問である。だから、実際に起こっているかどうかが重要。ここで①との違いを意識する。つまり、①は実際に起こっていないことも考えられるし、(極端な例を除けば)実際に起こったかどうかなんてどうでもいいのだ。しかしながら①は②をするうえで欠かせない。①の普遍性に注意する。アウシュビッツってあるじゃん。あの、ナチスのさやべえやつ。あとさ南京大虐殺とか、朝鮮人慰安婦とかこういう具体的な事件が起こったかどうかって②ではすごく重要だけど、①ではぶっちゃけどうでもいい、どうでもよくあるべきなんですよ。アウシュビッツがあったから人種差別はダメとか、そういうのは理屈になってない。アウシュビッツがなかった世界線も存在するはずだ。その世界の住人も納得できる倫理を作ってくれさい。実際に起こったかどうかに、倫理には存在していてほしい。

なんの話をしていたんだっけ。そうだ。進化心理学。そうだった。まあ哲学と歴史の区別については永井均のこのツイートでだいぶ明確になったから、ここまで駄文に付き合えた諸君の理解のために掲載しておく。

進化心理学は実際には全学問領域にまたがっちまうポテンシャルがあると思う。それは精神分析学が全方向を汚染していったことと似ているかもしれない。

さて、僕は「Why」への答え方で、連中と俺様の間に線を引いてやろうと思っていた。

ここで、至近要因にはおおむね同じように答えるであろう、としておく。問題は究極要因のほうである。その前に一応至近要因と究極要因の違いをざっくり説明しておく。両者とも「Why」にこたている体裁ではあるが、実際には前者は、「How」にこたえているといえる。「どのようにしてあなたは孤独を感じるのか」"How you feel your loneliness"である。実際に孤独感を感じているときに何が起こっているのか。これが至近的だよねっていう。後者はWhy、なんかほかの言い回しが欲しいよね。そう、そのために究極要因なんて大げさな言葉があるんだよね。究極、「なんで私は孤独感を感じなきゃいけないの?」(「感」が被って頭痛が痛くなった人、この表現は誤りではないので)「それはね、昔々孤独感を感じなかったボケナスが子孫を残せなかったからよ」。この究極感が伝わってほしい。感じてる?究極感。俺は微妙。だって、孤独感はきっとそれ以外の方法でも獲得されえるから。意味が分かんないよね。ごめん。これから説明する。孤独感っていうのは、実はすごくぼんやりしてて、たぶんいろんな感情の組み合わせなのではないかな、と思うの。還元主義っていうんだけどね、こういうの。だから、その孤独感を構成する感情群が、必ずしも「孤独感」として獲得された、とは言い難いってこと。いくらでも別の説明がつけられるの。どうでもいいんだわ。実際にどうだったかなんて。

だって俺はどんな世界でも通用する学問、哲学が好きで、歴史が大嫌いだから。いいかい。いいんだ。たぶんさ、このやり取り、つまり、孤独感を感じる理由を誰かに尋ねるって営みはさ、つまりこうじゃん。お母さんと息子がいます。「孤独すぎつらすぎわろた。なんか意味あんの?」「それなしじゃ友達ができなくて、いざというときに大変よ!」みたいな。伝わる?要は教訓なわけ。教訓。文字通り疑問に思っていて、実際にどうなのか知りたいとかじゃなくて、慰めてほしいわけよ。カウンセリングの一環。たぶんね。たぶん。全部俺の妄想よ。でも実際こうだと思う。実在するならね。アヤシイ歴史をこういう教訓に使って欲しくないっていうかさ~。いいじゃん「友達ができなかったらいざというとき大変だよ!」で。間違ってないんだもん。進化心理学のテキトーな説明と違って。偏屈なガキだったら別の歴史を思いついて、論破しにかかるぜ。おいボウズ、哲学の才能があるな。哲学の立場ならむしろ友達づくりのインセンティブっていうほうが、うれしいわけ。歴史とか、無意識の過程とか、そういう真偽不明なうえにどうでもいいものに言及しなくて済むから。んでさ、こういう答え方の態度の違いって、別に心理学の中にもあるよねっていう。

俺は欲求って言葉が嫌いで、なぜかって~~欲求って~~したいです!ってだけじゃん。言い換え。なのになんかこう。あたかも具体物になりました!みたいなつらしやがって、ゆるせねえ。伝わってほしい。この差異。もう眠いから。ようは俺は進化の「歴史」にはあんまり興味がなくて、進化をつかって何ができるか、ようはまず物理学をやって、次に工学をやるようなそういうイメージ。だから、まあ、いいよ。好きよ、しんりがくの中では進化心理学。でもさーやっぱり俺はこうやって究極要因とかいって歴史を紡いでみても世の中の役に立たないと思うんだ。役に立つとしたら、そうだな。もっとアヤシクて世の中をだめにするようなほかの歴史をテキトーに黙らせられること。そんなもん。だけど歴史は嗜好品でいてほしいんだ。アウシュビッツがなくても人種差別はよくない。民族主義はよくない。アウシュビッツがあったかなかったという論点は、本当は、ないほうがましだ。だって人種差別がいけないってことは別の理屈が支えてくれる。頼むから歴史認識でそこをごまかそうとするようなすきを見せないでほしい。そういう気持ちが、哲学よりの進化論大好きマンのなかにあります。民族主義や人種差別を本当によくないと思っているわけではありませんが。

あとさ「本能」。あなたがなになにしたいのはそれが「本能」だから。ってやつ。たわけ。たわけが!これも実は広義歴史的論法なのよ。男のキモい浮気だとか、女の偉そうな男の選別だとか。本能よ。うん。これはさ、たぶんマジでこれ自体として進化で獲得された戦略だと思う。みんなの頭にデフォルトで備わってると思うよ。だけどさ~~~~~いいんだ。ちげえんだよな。子供を産むコストが低い男と高い女がいます。なので、男はたくさんの子供を作ることができるのでバンバンセックスしたがるけど女はそうはいきませんね。はい。はいラマルク的。誤り。馬鹿か。何言ってんねん自分。これじゃなかった。なんだろう。これはいいか。進化心理学のほうがましだ。とりあえず進化心理学に任しておこう。とりえず。志向がまとまるかと思って書いてみたけどあんまりだった。でも多少はまとまったかな。あ、あと自然主義的誤謬、いいえ、ヒュームの法則にだけ触れとく。これはね、ようはこれまで君の遺伝子がこうなっていて、こういう風に行動するようプログラミングされているんだ!だからこうするべき!ではないから。人生は子供を産み、養育することが目的じゃなくてもいい。遊びまくっていい。女!セックスは最高に気持ちがいいらしいぞ。俺は女じゃないからわからんが、たぶん気持ちがいい。セックスしまくれ!俺たちは自由だ!避妊と、病気には気をつけて。セックスしよう!俺と、セックスしよう!してくれるかたはツイッター・DMまで