合格発表がこわ、くもない。三回目なので

平成最後の受験生諸君およびその周囲にいる人々に置かれましては連日の国立大前期合格発表を受けどんな気分でお過ごしでしょうか。これは決して単なる文頭の挨拶ではなく、実際にどんな気分でいるのか興味があるのだ。他人の合格発表に際しての気持ちである。僕は三年連続で受験生で、自分とは一切関係ない合否発表の期間を過ごしたことが、ない、わけではない。それは3年以上前、名前も顔も知らない高校の先輩たちという他人の中でもそれなりに他人な連中の合否発表、そして彼らが大学進学あるいは進学準備と進路を決する場面を見ることはあった。しかしその当時まったく受験に興味はなかったわけで、この時期の受験生がどのような思いでいるのか、その深刻さなどは全く知らないわけだから、非当事者として、傍観者としてはいささか不十分であった。そもそも他人の合格発表に際しての気持ちが、自分が受験生であるかいなかに影響されるものなのかはわからないのだが、僕は深刻に影響されると思っている。それは判決を待つ被告が時事を見ることや病人が同じ病室の患者の病状を見ることが、一般大衆のそれや見舞いに来た人間のそれとは異なることと同じである。なお現在の時刻は午前3時。安いワインをあおりながら中途半端な眠気をいなしつつパソコンカタカタしているので文章はいつもにまして終了していると思われる。そこらへんはいいかんじにご容赦いただきたい。これから自分の発表があるとなると、他人の合格発表に対してやはり曖昧な態度をとってしまう。自分と重ねてみたり祝ってみたりと一喜一憂さらにはちょっとした嫉妬の感情を抱いてみたりするわけなのだが、そのいずれも結局どこか振り切れたものではない。なにせこれから自分の発表があるのだ。他人の合格発表に精神のリソースをつぎ込むべきではなくて、感情の揺れ幅は小さくなる。これは傍観者として不適切である。よって他人の合格発表は僕の興味のある心境をお持ちの皆さんとは大学生の君たちである。あ、先輩なので敬語使っときますね。使わねえよボケ。……風呂敷を広げたが眠いので寝る。明日の発表がこわ、くもない。三回目なので