デュエルマスターズ
会社を休職して三ヶ月が経とうとしている。体調はまずまずで、「働きたい」と思うほど暇な平日の日中もある一方、夕方はだいたい疲れ切ってしまうほどに体力がない。このまま復職したところで、疲労に任せて生活を破綻させてしまうことだろう。そういうわけで、体力をつけるだとか、何らかの手段を以て復職を成功させるための準備を行いたいわけである。運動をしてみたり、人間関係を充実させてみたりしている。By the way, 部屋を整理するとか物を捨ててみるとか、そういったことをしてもいる。というのも、あまりにものとそれに付随する呪いが多くて、気が滅入ってしまっているのである。ちょうど去年の今頃、小学1年生から大学卒業まで暮らした汚くて狭いアパートを出て、現在の住宅に引っ越した。それなのにすでに物が多いというのは、その引っ越しにおいて物の不必要を一切分別できず、とりあえずダンボールに詰めて持ってきてしまったからである。したがって、幼少のおもちゃであるところのトミカであるとか受験の本であるとか、とにかくいらないものが多い。そういったものをどんどん処分してみているが、これが楽しい。進捗が目に見えるのが良いのだろう。それから、呪いから解放されて気持ちが軽くなる。一方で、かんたんに捨てられるものもあるが、そうでないものもある。物というのものは必要だと思って手に入れて、それから保管するのである。狭い部屋に住んでいた、保管のコストも割高であった。したがって、大掃除をするたびに必要と判断してきた累積があり、これが脳に刻まれている。その記憶が、半分反射的に、その物を見るたびに思い出される。それはほとんど情動と言っていいほど抗いがたく非理性的でトラウマ的といってよい。そういうわけで、長年持ってきた物というのは見るだけで大変に負荷がかかる。捨てるとなると、理性的にその情動と対峙する。その物を必要と判断してきたこれまでの自分の人生を追体験し、大人になった今の自分で、子供時代の自分を他者として向き合う。そういった心理療法めいたことを行うために、さらに「思い出すというその体験自体」の価値をその物に見い出さざるを得ないことを自覚する。そして、全部まとめて捨てるわけである。助けてくれ。
■
これまで人生を駆動してきた動力のようなものが機能不全に陥ってしまっているようだ。何事もやる気が起きない。これまで何を必死に生きてきたのかさっぱりわからない。過去の自分にまるで共感できない。
例えば俺は浪人をしていたころから熱心に日記をつけていた。日記と言っても俺の生活は万年破滅しているし、精神も万年破滅しているのでひたすらに湧き出る感情を適当に因果づけて紡いでいくようなもので、この世に満ちる理不尽な事象とそれを引き起こした己自身の理不尽な欲求の存在を鑑みれば、その手の文章の終盤は全く悲惨で続く言葉がなくなるものであり、罫線を無視した叫びのような文字の羅列が断末魔となるわけであった。狂人日記あるいは地下室の手記といった陰惨さであるが、ともかくそういったものをほぼ毎日熱心に生産していた。このようなゴミであっても、思い返せば日記を書く時間は僕にとっては思考の整理、記録であり一日にかたをつける作業というより、一日を送り、そうして得た記憶のキャッシュが睡眠を経て取捨選択(これは全く俺の自由意志に基づかない)され脳に定着する前に、その日発見した真理(どんなに些末なものであっても!)をシリアライズする、そういったことに意味を見出していた人生にとって言えば、これ自体があらゆることの目的であったかもしれない。ところが最近はてんで日記を書いていない。
真理といえば俺は大学に入ってからというもの勉強ばかりしていた。これまでずっと勉強ができることがアイデンティティだったタイプの人間では「ない」。浪人中に目覚めちゃったタイプの人間である。関心領域は広かった、わけでもない。今でこそロゴスエブリウェアと標榜し「俺は世界のいろいろな知に関心があるのであってなにかの専門家になりたいわけではない」と異自認しているわけであるが、当時はそれほど明晰に思っていたわけではなくて、とにかくいろいろな分野の知を知りたかった。そうやっていればいずれ「本当のこと」を知れる気がしていた、多分。本当のこと?
2020年は株をやっていた。株は楽しかった。この世界の写像であってまったく予想の困難な株価を相手にあらゆる道具を駆使し、自分の判断のみで勝敗が決する。そう、自分の判断や理論・思索の正しさが直ちに明らかになり、さらにその結果その人の資産の増減を決する。敗者は市場から去るほかない。一方、例として学者を上げてみれば、連中の知的怠惰は構造上の問題であるとわかるだろう。トレーダーとして生き残り、市場を相手に搾取を続けることは何より魅力的であった。しばらく株式をトレードしたあと、仮想通貨を始めた。それからすぐに、ネット上で出会った男とともに仮想通貨を自動で売買するbotterを目指した。男ははっきり言って冴えない人間で、私がメキメキ知識をつけバリバリに研究しガシガシコードを書くようになると議論にぎこちなさが見えてきた。それでも他人とプログラミングをするのは楽しかったし、何より統計的なモデリングの知識やプログラミングといったスキルや自分の強い好奇心と無謀さが完全に調和するこの営みに心底惚れ込んでいたため、自分をこの世界に入れ込んだ恩人が無能であることなど気にせずシコシコしていたわけであるが、無理があり一人でやることにした。一人でやってみた結果、はっきり言ってかなりうまく行った。恐ろしいくらい儲かった。完全に人生上がったつもりでいた。「本当のこと」はこのときに見てしまったのかもしれない。君たちは人生上がったことがあるか?秒速で1億稼いだことがあるか?(俺もないぞ)。俺は人生上がったつもりになったことがあるのでその時の気持ちを教えてあげるが、まず資本主義社会における最高の自由を得てしまったわけなので、自分がなんのために生きているのか考える必要がある。思いつかない。つらい。これまでの人生を回想してみる。そうすると自分の人生の浅さ、非本質さ、楽しくなさに一通り絶望することになる。俺は全く自分の享楽について無関心で、知や性を貪り脳汁におぼれて生きてきた事を自覚した。俺の人生には愛がない。俺の生まれはマジで最悪で、常にここを抜け出したいと思っていた。言ってみれば生活を愛していなかった。好きなものなんてなかった。この人生で満足するわけにはいかないから、享楽をもたらすものを愛するわけにはいかなかった。「本当のこと」を知りたかったのも「人生上がりたかった」からである。俺に知的好奇心旺盛という享楽の言葉は似合わない。一刻も早くこの世の心理を知って悟りたかった。それは悲惨な所与からの脱出である。ああ、辛くなってき
可読性日記20190914
俺は何をやっているのだろう。眠い。早く寝たほうがいいし、眠い時に人に見せる文章を書かないほうがいい。そうじゃなくて。多分数学を勉強している。分裂があるから。どちらにつくにせよ数学は使うだろう。数学は、線形代数とか解析学とかそういう話ではなくて、こないだの可読性日記の学問の分類でいえば①哲学に属する類のやつである。アカデミックなことに目を向ければこうなってしまうのだが、実際僕には何か恵まれたものがあるわけでもないしきっと研究者になることはないのだと思う。でもこれは本気で思ってるわけではなくて、「では就職あたっての数学ってなんだろう」という話に変えて趣旨を伝える、的なレトリックである。
では就職にあたっての数学とはなにか。そもそも就職するものにとっては分裂が前提となっている。特定の学問をやりたくて、あるいはもっと具体的な木曜をもって研究者になる人はたくさんいると思うけど、就職を目標に就活する人に限って言えば(教師や医師などの大学でそもそも専門性が定められている人は除いた。けど彼らは一足先にわずかに未熟なうちに似た分裂を経ていると思う)そもそも分裂の塊である。就職を目指す彼らは、何をやっているのだろう。就活とかいうのでは自己分析とかいうのをやらされるらしい。自己分析、不穏な響きがある。本当の自分とは何か、自分は何をしたいのか、自分には何が向いているのだろう。こういう切り口で己の分裂をいくばくか目の粗いものに統合して、それからリクナビになんかいろいとするんだろう?しらんけど。就職斡旋業者はこうした作業をたくさんの会社から請け負って、それから学生に自己分析させて、マッチングさせるわけじゃないですか。こう考えると自己分析が果たす役割というのは、自発的な内面との向き合いとは毛色が異なってくる。いかに自己を分析するか。そしてその能力こそ普遍的に求められているのではないか。どちらに行くにせよ自己分析能力が求められる。彼らにとっての数学は自己分析能力かもしれない。彼らはどうやってその能力を鍛えるのだろう。内面との向き合いの訓練をするのだろうか。かもしれない。でももっとぴったりくる言葉あるじゃん?インドガンジス川の旅。ヒッチハイク。自分探し。
俺はこういう連想やアナロジーを用いた文章の悪質性を何度も指摘しつつも、こうやって、俺は。ああ。いいかい、つまり、ぼくは、おれは、分裂している。
可読性日記20190906
追記:
現状、進化心理学がウケているのはこのような言葉の無断借用とその乱用によってあたかも従来的な説明であるとヒトの脳に誤解させている部分が大きい。麻薬のようなものだ。既存の科学的説明が作り出した脳の性向に寄生している状態だ。これからの課題は進化心理学がヒトに利せるか。共生できるか。
— 🎅 (@frontier_fuji) September 7, 2019
ここ数日進化心理学がツイッター上で話題になっているように感じる。この記事が話題になったからなのかな。
進化心理学はなぜ批判されるのか? - 道徳的動物日記
もっと長い目で見た関心の高まりもあると思う。僕は進化心理学にアンビバレントな感情を抱いている。これはたぶん進化心理学の「進化」の部分への賛意と「心理学」に対する不信や嫌悪によって生じる居心地の悪さが一因かと思う。僕はドーキンスやデネットが展開する世俗的な進化論的な哲学が大好きだし、彼らが物事を考えるように俺も物事(といっても僕は引きこもりだから、インターネットの話題がほとんどである)を進化論的にとらえようと努力している。「進化論的に」という言葉はおそらく語弊がある、あるいは「進化心理学」の「進化」とは違う何かを指している、と、主張したい。そう、ここの差異―僕が日夜考えている「進化」と進化心理学の「進化」決定的差異―これがはっきりと表現できずにいる、が、これはたぶん本当は「進化」の違いではなくてもしかしたら「心理学」の違いなのかもしれない。文章を書いていたらそんな気がしてきた。言い換えればこれは「Why」に対する応答の仕方・態度の違い、とも言えるかもしれない。まあまあ、まずは進化心理学を腑分けする。そもそも―これは僕の偏見だが―学問は大体以下の5種類に分別できる。①哲学②歴史③教育④工学⑤芸術⑥思想 ③,④,⑤,⑥は置いとく。非自明な区分けなので説明する。①は真理追及の学問分野が入る。例えば物理学や数学とか、倫理とか(ここには突っ込みが入りそうだが)普遍的で、おそらく宇宙人も同じように発展させているるであろう、いや、こう言ってみよう。可能な世界では異世界であってもきっと通用するような学問である。②は事実の記述の学問である。だから、実際に起こっているかどうかが重要。ここで①との違いを意識する。つまり、①は実際に起こっていないことも考えられるし、(極端な例を除けば)実際に起こったかどうかなんてどうでもいいのだ。しかしながら①は②をするうえで欠かせない。①の普遍性に注意する。アウシュビッツってあるじゃん。あの、ナチスのさやべえやつ。あとさ南京大虐殺とか、朝鮮人慰安婦とかこういう具体的な事件が起こったかどうかって②ではすごく重要だけど、①ではぶっちゃけどうでもいい、どうでもよくあるべきなんですよ。アウシュビッツがあったから人種差別はダメとか、そういうのは理屈になってない。アウシュビッツがなかった世界線も存在するはずだ。その世界の住人も納得できる倫理を作ってくれさい。実際に起こったかどうかに、倫理には存在していてほしい。
なんの話をしていたんだっけ。そうだ。進化心理学。そうだった。まあ哲学と歴史の区別については永井均のこのツイートでだいぶ明確になったから、ここまで駄文に付き合えた諸君の理解のために掲載しておく。
私自身はごく自然に、言語の起源それ自体よりも言語の起源について人々がどう考えてきたかのほうに興味を持つので。実際の起源がわかったところで、それがどうしたというのだ?
— 永井均 (@hitoshinagai1) July 28, 2019
進化心理学は実際には全学問領域にまたがっちまうポテンシャルがあると思う。それは精神分析学が全方向を汚染していったことと似ているかもしれない。
さて、僕は「Why」への答え方で、連中と俺様の間に線を引いてやろうと思っていた。
Q. 孤独はなぜ辛く感じる?
— Ore Chang(EvoPsy) (@selfcomestomine) September 5, 2019
→至近要因:脳の背側前帯状皮質という部分が活性化するから(N.Eisenberger, M.Liberman, & K.Williams 2003)
→究極要因:辛く感じない個体は淘汰されたから(J.Cacioppo 2007)
進化心理学が取り扱うのは後者の「なぜ」。それを本質とみるか、テキトーな学問とみるか。
ここで、至近要因にはおおむね同じように答えるであろう、としておく。問題は究極要因のほうである。その前に一応至近要因と究極要因の違いをざっくり説明しておく。両者とも「Why」にこたている体裁ではあるが、実際には前者は、「How」にこたえているといえる。「どのようにしてあなたは孤独を感じるのか」"How you feel your loneliness"である。実際に孤独感を感じているときに何が起こっているのか。これが至近的だよねっていう。後者はWhy、なんかほかの言い回しが欲しいよね。そう、そのために究極要因なんて大げさな言葉があるんだよね。究極、「なんで私は孤独感を感じなきゃいけないの?」(「感」が被って頭痛が痛くなった人、この表現は誤りではないので)「それはね、昔々孤独感を感じなかったボケナスが子孫を残せなかったからよ」。この究極感が伝わってほしい。感じてる?究極感。俺は微妙。だって、孤独感はきっとそれ以外の方法でも獲得されえるから。意味が分かんないよね。ごめん。これから説明する。孤独感っていうのは、実はすごくぼんやりしてて、たぶんいろんな感情の組み合わせなのではないかな、と思うの。還元主義っていうんだけどね、こういうの。だから、その孤独感を構成する感情群が、必ずしも「孤独感」として獲得された、とは言い難いってこと。いくらでも別の説明がつけられるの。どうでもいいんだわ。実際にどうだったかなんて。
だって俺はどんな世界でも通用する学問、哲学が好きで、歴史が大嫌いだから。いいかい。いいんだ。たぶんさ、このやり取り、つまり、孤独感を感じる理由を誰かに尋ねるって営みはさ、つまりこうじゃん。お母さんと息子がいます。「孤独すぎつらすぎわろた。なんか意味あんの?」「それなしじゃ友達ができなくて、いざというときに大変よ!」みたいな。伝わる?要は教訓なわけ。教訓。文字通り疑問に思っていて、実際にどうなのか知りたいとかじゃなくて、慰めてほしいわけよ。カウンセリングの一環。たぶんね。たぶん。全部俺の妄想よ。でも実際こうだと思う。実在するならね。アヤシイ歴史をこういう教訓に使って欲しくないっていうかさ~。いいじゃん「友達ができなかったらいざというとき大変だよ!」で。間違ってないんだもん。進化心理学のテキトーな説明と違って。偏屈なガキだったら別の歴史を思いついて、論破しにかかるぜ。おいボウズ、哲学の才能があるな。哲学の立場ならむしろ友達づくりのインセンティブっていうほうが、うれしいわけ。歴史とか、無意識の過程とか、そういう真偽不明なうえにどうでもいいものに言及しなくて済むから。んでさ、こういう答え方の態度の違いって、別に心理学の中にもあるよねっていう。
俺は欲求って言葉が嫌いで、なぜかって~~欲求って~~したいです!ってだけじゃん。言い換え。なのになんかこう。あたかも具体物になりました!みたいなつらしやがって、ゆるせねえ。伝わってほしい。この差異。もう眠いから。ようは俺は進化の「歴史」にはあんまり興味がなくて、進化をつかって何ができるか、ようはまず物理学をやって、次に工学をやるようなそういうイメージ。だから、まあ、いいよ。好きよ、しんりがくの中では進化心理学。でもさーやっぱり俺はこうやって究極要因とかいって歴史を紡いでみても世の中の役に立たないと思うんだ。役に立つとしたら、そうだな。もっとアヤシクて世の中をだめにするようなほかの歴史をテキトーに黙らせられること。そんなもん。だけど歴史は嗜好品でいてほしいんだ。アウシュビッツがなくても人種差別はよくない。民族主義はよくない。アウシュビッツがあったかなかったという論点は、本当は、ないほうがましだ。だって人種差別がいけないってことは別の理屈が支えてくれる。頼むから歴史認識でそこをごまかそうとするようなすきを見せないでほしい。そういう気持ちが、哲学よりの進化論大好きマンのなかにあります。民族主義や人種差別を本当によくないと思っているわけではありませんが。
あとさ「本能」。あなたがなになにしたいのはそれが「本能」だから。ってやつ。たわけ。たわけが!これも実は広義歴史的論法なのよ。男のキモい浮気だとか、女の偉そうな男の選別だとか。本能よ。うん。これはさ、たぶんマジでこれ自体として進化で獲得された戦略だと思う。みんなの頭にデフォルトで備わってると思うよ。だけどさ~~~~~いいんだ。ちげえんだよな。子供を産むコストが低い男と高い女がいます。なので、男はたくさんの子供を作ることができるのでバンバンセックスしたがるけど女はそうはいきませんね。はい。はいラマルク的。誤り。馬鹿か。何言ってんねん自分。これじゃなかった。なんだろう。これはいいか。進化心理学のほうがましだ。とりあえず進化心理学に任しておこう。とりえず。志向がまとまるかと思って書いてみたけどあんまりだった。でも多少はまとまったかな。あ、あと自然主義的誤謬、いいえ、ヒュームの法則にだけ触れとく。これはね、ようはこれまで君の遺伝子がこうなっていて、こういう風に行動するようプログラミングされているんだ!だからこうするべき!ではないから。人生は子供を産み、養育することが目的じゃなくてもいい。遊びまくっていい。女!セックスは最高に気持ちがいいらしいぞ。俺は女じゃないからわからんが、たぶん気持ちがいい。セックスしまくれ!俺たちは自由だ!避妊と、病気には気をつけて。セックスしよう!俺と、セックスしよう!してくれるかたはツイッター・DMまで
合格発表がこわ、くもない。三回目なので
平成最後の受験生諸君およびその周囲にいる人々に置かれましては連日の国立大前期合格発表を受けどんな気分でお過ごしでしょうか。これは決して単なる文頭の挨拶ではなく、実際にどんな気分でいるのか興味があるのだ。他人の合格発表に際しての気持ちである。僕は三年連続で受験生で、自分とは一切関係ない合否発表の期間を過ごしたことが、ない、わけではない。それは3年以上前、名前も顔も知らない高校の先輩たちという他人の中でもそれなりに他人な連中の合否発表、そして彼らが大学進学あるいは進学準備と進路を決する場面を見ることはあった。しかしその当時まったく受験に興味はなかったわけで、この時期の受験生がどのような思いでいるのか、その深刻さなどは全く知らないわけだから、非当事者として、傍観者としてはいささか不十分であった。そもそも他人の合格発表に際しての気持ちが、自分が受験生であるかいなかに影響されるものなのかはわからないのだが、僕は深刻に影響されると思っている。それは判決を待つ被告が時事を見ることや病人が同じ病室の患者の病状を見ることが、一般大衆のそれや見舞いに来た人間のそれとは異なることと同じである。なお現在の時刻は午前3時。安いワインをあおりながら中途半端な眠気をいなしつつパソコンカタカタしているので文章はいつもにまして終了していると思われる。そこらへんはいいかんじにご容赦いただきたい。これから自分の発表があるとなると、他人の合格発表に対してやはり曖昧な態度をとってしまう。自分と重ねてみたり祝ってみたりと一喜一憂さらにはちょっとした嫉妬の感情を抱いてみたりするわけなのだが、そのいずれも結局どこか振り切れたものではない。なにせこれから自分の発表があるのだ。他人の合格発表に精神のリソースをつぎ込むべきではなくて、感情の揺れ幅は小さくなる。これは傍観者として不適切である。よって他人の合格発表は僕の興味のある心境をお持ちの皆さんとは大学生の君たちである。あ、先輩なので敬語使っときますね。使わねえよボケ。……風呂敷を広げたが眠いので寝る。明日の発表がこわ、くもない。三回目なので
ツイッターのアカウントを消した
つらい。誰も見てないだろうから書く。誰かが見えるところに書いたという事実が欲しいから書く。とにかく精神が限界になってやめた。精神などというものは存在しない。脳とその他の臓器を隔てるものはせいぜいニューロンの利己性くらいであって、基本的に等価だ。胃に精神が存在しないなら脳にも精神は宿らない。脳の働きを我々は知らない。消化器官がいかに食物を処理し、血液がどのように循環しているのか知らないように、少なくとも直接的には、脳は不可知だ。脳は脳を知ることができない。しかし、確かに胃が満たされているときに感じられる満腹感があり、手のひらを太陽に透かしてみれば血管は見える。我々は、我々自身ををあくまで間接的にのみ知ることができる。これは科学の進歩とは関係ない。いくら科学が進歩して、分子レベルで人体が解明されようとも我々は我々の身体を知ったことにはならない。人類が作った道具のうち、原理が不明なものはない。誰かが意図して作り上げたからだ。それらの道具がいかに働くかは、知ることができる。反面、人体は誰の意思によって組み上げられたわけでもない。脳もそうだ。精神は、俺が精神と認めるそれは、灯りに照らされた「何か」の影、そう、洞窟の中の影であって、我々の意思の主体であったり、感覚であったりの本質たる「何か」ではない。すなわち、精神が限界になったとはあくまで俺の感覚であって、実際に精神が存在し、精神が限界になっていることを意味しない。ただこの感じ。俺が今感じていて、おそらくこの語彙が適当で可読性があるだろうという中で選ばれた感じ、焦燥感・不安感・自分が自分の思うように動かない感じ・嫉妬・世間が狂っているように見えて、不愉快で、それでいて力の及ばないことの無力感、その力の及ばない感じが肉体、それから“精神”にまで伸延して、俺ではない、精神すら俺ではない。今すぐに辞めたい、ここから出たい。どこに行く?ここではない、どこかへ。そういう気持ちがこもっている。精神が限界だ。
受験が近いというのが、精神が限界な理由として挙げられるだろう。二浪だし。秋の模試も芳しくなかった。今から何をしようも、実はまだ遅くはない。三度目の受験だ。これからどれだけ追い上げがあるのか、知っている。こうやってブログを書かずに化学のろくでもない知識と英語の発音アクセントの法則を叩き込めばいい。過去二回やったようにだ。それから演習をしておけば、まあセンター試験は乗り切れる。二次もまあ、これから演習を繰り返せば、つまり、これからわずか二ヶ月間という、人生に比せば僅かな時間を捧げれば、まあ受かるだろう。去年もそう思っていて、落ちたわけだけど。何が問題かといえば、これからわずか二ヶ月間を捧げることにすらなにか抵抗を感じることだ。受かっちゃえば勝ちなのに、勝ちなのに、それでも俺は勉強から逃げている。何に勝つのかは知らんけど。今だって、こうしてパソコンの画面の前でぼんやりした顔で目だけ何かをにらみながらガタガタとキーボードの打鍵を、暖房の効いた、しかし空気清浄加湿器によっていい感じの湿度に保たれた澄んだ快適なはずな自室の空気にガタガタと響かせている。やめたい。やめたい。でもやるだろう。きっと俺はこの二ヶ月を虚無に捧げる決心をするために文章を書いている、のかも知れない。白状しよう。俺は受験生ではない。では何?少なくなくとも受験生ではないし、これまで受験生だったこともなかった。
受験生が不定愁訴で医者にかかれば、まあ十中八九受験のストレスのせいにされる。医者は元々ガリ勉の受験生、あるいは僕のように怠惰で、それでもなぜか受験と大学に何かを期待したのか、あるいはそれ以外を否定したのかしらないが、とにかく元受験生だった人で、つまりは受験生の辛さとストレスなる謎概念で諸症状を説明できると信じている人間たちだ。それが実際のところどうなのかは知らない。なぜなら俺は受験生でないのにもかかわらず、受験から解放された試しがないのだ。受験をやめたい。それはそう。でも俺は、もっと他の、ここに書けばきっとしばらく囚われの身となるであろう悩みだとか、ここに書いたとて解決しようのない過去の、今の、これからの、家庭の問題もある。でも、これらは書かない。書いてどうするんだ。しかし書いてどうにかなるものがあるのかと問われれば返す言葉もない。ならば、これらは書きたくないだけであって、書きたいものを書いてるとしか言いようがない。書きたいことを書く。書いている。
今になって辛くなってきたことと言えば受験が迫ってきたこと以外に、当然他の問題もある。クリスマスが近くなった。俺の中のクリスマスと外のクリスマスがあまりに不均衡で辛くなってきた。今まではその浸透圧に釣り合う圧力ないし体内のクリスマス濃度を上げる余裕があったが、もう無い。そう、余裕がなくなってきた。余裕とは、つまり最低限度の文化的な生活以上を望むことであって、平均以上で、つまり社会が保障しないやつだ。それを持つかどうかは自由であって、単にオプショナルで、つまり本当はなくていいという「ことにされている」もの。それを持つための対価たるは金銭に代表されるだろうが、それ以外にもいろいろある。極端に言えば生存以外の全てはそこに含まれる。何もその気になれば換金できるもの、あるいは直接的に経済的利益をもたらすものだけではなく、それは肉体、精神の内部のみで完結するはずのものにすら“余裕”は見出される。その線引を生存に置くのは、すこしやりすぎた感じもある。生活、これにしよう。食い寝て風呂に入り、そういう、つまりは最低限度の文化的な生活だ。これはやれる。これだけやって、終わりだ。あえて加える。多分受験勉強も加えられる、ギリギリ。俺にとっての生活が受験勉強とともにあるとする。その上で、おそらく可能だ。本当に受験勉強だけすることには、本当は余裕など必要ない。受験勉強は受験勉強に完結する。俺に関わってこない。俺が受験勉強をしようがしまいが、受験勉強はあるようにある。受験勉強は俺に興味がない。受験勉強は受験勉強をしたいときだけ意識される。無機的。これはいいことだ。俺の肉体的精神的リソースを占有しない、おまけに時間も過ぎていく。いいことだ。いいことに違いない。これからの二ヶ月間が楽しみだ。ファックユー天安門。
まてまて、俺がしたこととはツイッターのアカウントを消したことだ。決して精神が限界になったわけではない。なぜツイッターから離れたくなったのか?失恋ではない。本当に。本当だぞ。受験勉強は余裕を消費しないと書いた。余裕を消費するものがツイッターにはある。ロゴスだ。ロゴスがいらない。正確に書こう。悪いロゴスが俺の余裕を削る。ロゴスは操作可能で、脳の、精神の伸延だ。理性の伸延、かも知れない。他者の理性の結晶、それは文章。俺の脳はどうも、他者の理性と自分の理性を見分けられないらしい。絶対的な真理が存在し、それを見出さんとするものこそロゴスだ。ロゴスは共有可能らしく、文章を媒介に君のロゴスが、ツイッターを媒介にウン万人のゴミカスのロゴスが俺の精神の樹の枝の最も柔らかい先端にいざ析出せんと大群で流れ込む。もう、俺の余裕をそんな偽物のロゴスに捧げるのは御免だ。ツイッターのゴミクズどもの言ってることはほぼ全てが間違っている。ほぼすべてが、間違っている。前提が誤っている。言葉が間違っている。浮足立っていて、一見論理的であっても、実際はあやうい曖昧な区切りを都合よく運用しているゴミだ。AIとIoTで全てが解決すると思っているクソジジイと同じだ。水素水の抗酸化作用を信じる四十路のババアと同じだ。神を信じ、世界が神に造られたと思って生きている古代人と同じだ。こういう完全に誤った前提を無条件に信じる連中と話が通じる訳がないだろう?こんな連中の文章なんて見るだけ身体に、精神に毒だと思わないか?俺の貴重な“余裕”を奪っていく。俺の精神を正しく、つまり、俺の理性をロゴスと同一視するために、俺は余裕を消耗していた。クソが。クソが。この際だから言おう。連中は自虐すら満足にできていない。奴らが万の理屈を並べて自分自身を卑下しても、それら全てが間違っている以上、単に俺にそれを訂正したい気持ちをムラムラと湧かせるだけだ。自虐風自慢、ということではない。自慢する意図があるかどうかはさておき、とにかく前提、そして何もかもがおかしい自虐というのがこの世には存在するらしい。卑屈、そう卑屈なのだ。いや、連中は卑屈なだけではなくて、肝心のところには触れない卑しさがある。やつらは、本当に卑しい、奴らの最も醜いところには触れない。仮にそれが明らかに原因であっても、そこには触れずに、しかし生じた問題を説明しようとする。だから自虐に無理が生じる。別に卑下すべきではないところを自虐する。あるいは全く意味不明の自虐をする。だから卑屈にも見えるし、だけどそれ以上に、フェイクなのだ。これだ。お前らはフェイク。俺がリアル。
喩え話をしよう。医者と患者がいる。患者はあれこれと症状を訴える。医者は統計的に優位で実際にその症状を解決する方法を知っている。しかし患者は祈祷による治療を要求してきた。邪気が溜まっているとかなんとか言って。いいや、違いますよ患者さん。と、まあ医者が患者と向き合っていればそう諭すだろう。では、この患者が、患者ではなくて、TV番組だったら。つまり、医者が、「がんは邪気から」というトンデモテレビ番組を見たときの気持ちはどうだろう。「がんは邪気が原因。邪気はあなたの心から自然に生じる醜い汚れです。これをうまく処理できないとがんにもなる。」テレビ局とスポンサー企業にクレームを入れるだろうか?学会に報告するだろうか?この番組が単にイカれていて、翌日には良識ある人々がSNSでボコボコに叩いていれば希望はあるだろう。バカバカしい。無視するという選択肢もある。だから初めのうちは、医者にもそれを無視する余裕があった。しかし、どうもみな邪気の存在は確かに感じるらしい。邪気理論に基づいた邪気医学が世間に受け入れられる。ゴールデンタイムの祈祷バラエティ番組が「がんを治すためにはこの神聖な柊と大豆の枝と鰯の頭でできた冠を必ずつけてください!この冠には邪気をウンタラカンタラ」と言っていたとする。そして翌日出勤すれば患者がみな冠を被っている。どいつもこいつも邪気の話をしている。帰りの電車の中吊り広告には呪術医の広告から『邪気のあるひとの10の特徴』とかいうタイトルの本の広告まで。そして学生時代の友人も、家族も!昔の恋人も!みんな邪気のことを気にしている。テレビ番組では呪術医が崇められ、本屋には邪気理論関連書籍が面陳されている。ツイッターではみな祈祷の方法について議論している。極めて体系化された邪気医学に基づいてみな思い思いに議論をする。邪気医学によれば、人間が生まれながらに生産能力をもつ邪気はがんだけではなくて、ありとあらゆる疾患から、人間関係の悩みまで、全ての原因になっているらしい。だからみんな何があっても「邪気が云々」と説明する。「あーあ、物理数学の単位落としちゃった。邪気溜まりすぎてた。」「邪気が溜まってる人は顔に出るよね。邪気隠しメイク!」「汚職政治家は邪気まみれ?気になる邪気量、邪気歴、身長は?」「衆議院では邪気者収容法が可決され……」「ジャキハラが問題に」「邪気生産力はほぼ遺伝!」邪気邪気邪気ああああああああああああああああああああああ。終わりだ。どいつもこいつも邪気医学に基づいた話をしやがる。違う。違う。違う。邪気なんて、邪気なんて。違う。祈祷なんて効かない。邪気が問題なんじゃなくって、それぞれ違う解決法があって、ああ、でも誰が俺の話を聞くだろうか。西洋医学は分かりづらい。実際に機能するとて、理解するのは難しい。祈祷で追い払える邪気と違って論理的に説明することの難易度が高い。だからみんな邪気医学は論理的だと思ってる。西洋医学に基づいた話をするとtoggeterにまとめられて赤字のコメントとはてぶにボコボコにされる。「きっと邪気が溜まっているから西洋医学なんかに傾倒するんだろう」ってな。そして民衆は邪気理論に基づいた自虐をする。邪気が溜まっている人の特徴が自分にもあるってな。それでみんなで慰め合うの。「大丈夫だよ、『本当に』邪気が溜まっている人はね……。」
でもみんな心の何処かで思ってる。本当は邪気が問題じゃなくて、祈祷なんて効かないけど、でも、邪気のせいにすれば、邪気のせいにすれば……。フェイク
俺はツイッターのアカウントを消した。
スマホの共有メニューから登録できる英単語帳をSLACKとGASで作った
プロ受験生なので英単語を投げるといい感じに意味を返してくれるslack bot「英単語の意味返す君」を作った。履歴はslackに残る。
— 🎅 (@frontier_fuji) 2018年12月10日
スマホの共有メニューから単語を入力できるので英語論文とか英語記事を読んでる最中に知らない単語を登録すれば意味もわかるし復習も容易で一石二鳥だね! pic.twitter.com/GquUmYFhh2
英単語をSlackに投げると意味を返してくれるSlack Botを作りました。
スマホやタブレットで英文を読むときにわからない単語を調べたものの、その文章を読むために一時的に覚えたあと結局忘れてしまうという現象が起こりがちだったので作りました。ネット上の英語コンテンツで雑に勉強してる方や論文に載ってる専門分野の英単語だけは覚えたい人には便利だと思います。
備忘録のつもりで書いたのでSlackとGAS(GoogleAppsScript)の前提知識がない人には不親切な記事になっています。よく分からないけど使いたい人がいたら雑に教えてください。暇な時に追記します。
SlackのEventをトリガーにするやつでGASと連携して使います。
まずGoogleAppsScriptとSlackの設定をします。
SlackのEventSubscription機能を使うので、GASのアレをvarificationするところから初めます。
①GoogleAppsScriptで新規プロジェクトを作成し、以下のコードをコピペしてください。
function doPost(e){
//バリデーション用
var params = JSON.parse(e.postData.getDataAsString());
return ContentService.createTextOutput(params.challenge);
}function doGet(e){
doPost(e);
}
SlackのEventAPIとGASを利用して、特定のチャンネルにjoinするとwelcomeメッセージを表示するBotを作ってみた|yuichi.komori|note
より引用させていただきました。
②プロジェクトを公開します。「公開」メニューで「ウェブアプリケーション導入」を選択してください。アプリケーションにアクセスできるユーザーは「匿名を含む全員」を選択してください。このとき表示されるURLを控えてください。
次にSlackの設定をします
③Slackで英単語帳専用に新たなチャンネルを作ってください。そこで動くSlackアプリを新規作成します。
④Basic Information でImcoming WebhooksとEvent Subscription、botを適当に設定してください。Event SubscriptionではReques URLを求められると思うので②で控えたURLを設定します。Imcoming Webhooksで得られる「Imcoming Webhooks」のURLは後で使うので控えておいてください。
上の設定が問題なく済んだらGASに戻り、GASの設定をします。
⑤以下のソースコードを先程のプロジェクトのコードに上書きする形でコピペしてください。
https://script.google.com/d/1NGP-YVhNl5NM8Q43a1SDqpT_x9g5qXYQzy5tJ6GKVQMX8gt4N8FgjYt_
⑥「リソース」メニューからライブラリを登録します。「ライブラリを追加」のところに以下の英数字列を入力してください。識別子は「SlackApp」に設定します。
M3W5Ut3Q39AaIwLquryEPMwV62A3znfOO
Slack BotをGASでいい感じで書くためのライブラリを作った - Qiita
より引用しました。
⑦「ファイル」メニューから「プロジェクトのプロパティ」を開いてスクリプトプロパティに以下の値を設定してください。
USER_ID →(Slackの自分のアカウントのUser ID)
参考:slackに参加しているメンバーのUser IDを調べる方法 - /var/www/yatta47.log
SLACK_ACCESS_TOKEN →(Slackのレガシートークン)
SLACK_POST_URL →(Slack Imcoming web hookのトークン;④で作ったURL)
⑧再度「公開」メニューから「ウェブアプリとして導入」を選択し、「プロジェクトバージョン」を「新規作成」にして公開してください。
⑨終了